秒速五センチメートルの考察と感想
君の名は。が面白かったわけですが、秒速五センチメートルも見てみたので感想と考察を。
新海誠は寝取られエンド好きでハッピーエンドには意地でもしない鬱映画製造マシーンの鬼畜と聞いていたが、この作品はそうでもないなと。くっつかないのは事実だけど、寝取られっていうよりも、男女の違いアンド自業自得だと思ったので、そこまで鬼畜とは思わなかった。
その根拠などを以下に書きます。
1.タカキとアカリの意識の違い(男女の過去の恋愛に対する意識の差)
第3話(大人になってから)において、第1話(中学校のころ)のことを2人は夢に見た。それをこうモノローグしている。
アカリは「あの時私たちは子どもだった」、タカキは「あの時僕たちは13歳だった」。まずこの差がある。
また、「昔の夢」というセリフはアカリの声でしか言われていない。
この2点から推察するに、この2人は13歳の頃の出来事を
アカリ→今とは違う、昔の恋の話
タカキ→今と地続きの、何年か前の話
という認識の差が見てとれる。
男女の昔の恋愛は、女→上書き保存、男→名前を付けて保存、とはよく言ったものだ。
2.ハッピーエンドには?
何がハッピーかは知らないが(本作でもアカリは幸せそう、タカキはスッキリした顔)、とりあえずこの2人がどうしたらくっついてたか、どうすればタカキはアカリを射止められたか考えてみた。
①第1話の桜花抄
アカリは「タカキ君<は>大丈夫だと思う」と別れ際に言った。それに対してタカキは「手紙書くよ!」など。う〜ん、恋愛マスターの俺からすると60点!
その手前で、中学校に入る前のアカリがタカキに転校を伝える電話でタカキは学んだはずだ。
「自分も辛い、だが相手はもっと辛い。そこで相手を泣かせることを言った後悔」を。つまり、「相手が辛い時にはもっとかけるべき言葉がある」のだ。
また、アカリの内向的な性格やら、自分が想像するアカリはいつも1人だとか、そういうところも踏まえた上で、「タカキ君は大丈夫」の「は」は、限定の「は」とも取れるもの。つまり、アカリは大丈夫じゃなさそうなのだ。そしてタカキがアカリを守ったことが小学校の時もあるし、それ込みでここまで仲良しなんだろう。
あの時のタカキの正解は「俺が守るよ」「俺がついてるよ」的なことも言えば良かったんじゃないかな。痛いけどまあポエムを自分の中で言うよりかは、相手にもうちょっと思いやってなんか声かけてあげようよ。
②第2話
中1で手紙書くよ!とか言ってる割に、高校の第2話では「いつからだろう、誰にも送らないメールを打つようになったのは」
送れよ!
マメさとか大事だろ!送れよ!
夢で会えただけで満足すんなや!
この隠キャ特有の恋愛自己完結脳がアカンかったかなあ。
③大学以降
1)タカキにも3年付き合った女性がいる。好きでもないのに付き合うなよ、しかも3年も。3年も付き合ったのは、第2話を見るに、女はずっとタカキが好きだが、タカキは優しさでふれずに延命しちゃった感じだろ。そこはワガママ言えや。
2)たぶんアカリに連絡してないだろ、第2話の感じも見るに。大学からは行動範囲広がるから会いたいだけ会えるだろ。
以上のことから、なんかタカキの自業自得感あるんよなぁ。
だから寝取られエンドっていうのも違う。釣った魚に餌あげずに捨てられたくらいだよなぁ。
あ、映画は全編通じて面白かったです!
ただ、この映画みて失恋だ寝取られだー鬱だーと新海誠に言うのは違うよなぁ、という感想文でした。
#追記、アカリは振り返っていたか?
上の記事はほかの感想記事、考察記事を見ずに、映画だけみて書いたんですが、考察記事見ると「アカリは小田急の踏切の向こうで振り返っていたか?」が論点にあります。
結論から言うと、「振り返っていたが、タカキを確認せずに立ち去った」が私の持論です。
小学校の時から互いに通ずるものがあるんだから「今振り返ったら相手も振り返る」というタカキのカンはそうなんでしょう。そこは運命を信じたいよね。踏切渡った直後ならアカリも振り返っていたと思います。
ただ、踏切で電車は反対方向からの矢印も点灯し、2台横切りましたよね。その2台目のうちにでもアカリは立ち去ったんでしょう。だって、前述の通り、タカキとの恋はアカリにとって昔の話なので、あえて確認するほどでもないので。
秒速5センチメートル全編で表現された「2人の距離感」からするに、アカリが振り返りもせず立ち去るのは、距離がありすぎるかなと。映画全編を通じて考えると、「アカリは振り返っていたが、タカキを確認せずに立ち去った」ぐらいが、この作品にとってちょうどいいものだと思います。